【日記以上随想録未満 】を始めてみます。

【日記以上随想録未満 】を始めてみます。

こんばんは。津久井です。

サイト紹介と車中泊に関する記事を合わせて4つ公開してみましたが、やはりたくさんの人に見てもらうというのは現状難しいと実感しました。

そんな中、自分で表現をするため、自分の中で渦巻く考えを放出させるため、不定期で思ったことをまとめるシリーズを始めます。

タイトルについてですが、「○○以上○○未満」という言葉を書評や音楽レビューに用いようと温めていたものを使いました。

また、このタイトルは結構気に入っており、まだ過渡である僕をよく表しているように思います。

何かを書いて表現をしたい。そんな思いはあるけれど、胸を張ってエッセーとは言えないような中途半端な僕を。

随想録—エセーとはモンテーニュによって16世紀に書かれた本で、これがとても素晴らしいのです。

鋭い考察をしながらも、柔軟な視点をもって、僕たちに立ち止まることを教えてくれる。

そんなエセーを初めて知ったのは田島正樹の「ニーチェの遠近法」という本を読んだ時です。

僕はそこそこニーチェ主義者であると自認しています。

しかしニーチェは、捉え方によっては相対主義に陥ってしまいます。そんな中、モンテーニュを交えながらニーチェの遠近法(パースペクティブ)主義と相対主義の違いを論じている「ニーチェの遠近法」はとても参考になりました。

「ニーチェと遠近法」ではニーチェが相対主義に陥らない理由を主張する態度に見いだしています。

ニーチェは「超越的原理」に訴えて、その影に隠れて判断を下すのではなく、進んで誠実に判断を下します。そして詩によって、解釈を語るのです。

ドゥルーズがニーチェを芸術家や医者、立法者と形容したことは、真理に代弁させることなく判断を下す彼の方法をよく表しているように思います。

ところで、話をモンテーニュに戻しますと、彼は遠近法的な視点を保持しつつ、あらゆる物事に関して解釈を行います。ですが、超越的な尺度は提示しないし、これが絶対に正しい言い切ることも少ないのです。

これは科学が真理として提示される以前であり、かつ、彼の誠実な主張する態度が生み出した彼独自のスタイルなのでしょう。

それによってエセーは、僕たちに立ち止まることを教えてくれ、様々な選択肢を示してくれるのです。

そんな誠実な偽りのない主張する態度と共に、日記以上、随想録未満の文章を綴っていきたいのです。

読者よ、これは誠実な書物なのだ。この本では、内輪の、私的な目的しか定めていないことを、あらかじめ、きみにお知らせしておきたい。きみの役に立てばとか、わたしの名誉となればといったことは、いっさい考えなかった。もっとも、わたしの力量では、そうした企てなど不可能なのではあるけれど。

白水社 モンテーニュ エセー1 「読者に」

どんなことを書いていくのかについて

なんでも書きます。日記の延長なので。しかし、ネットの海にこの文章たちを放つ以上、読みごたえには少し気を配るつもりです。

気を配るだけで、拙い文章で分かりにくいことを書き連ねていくことになるような気もしますが。

基本的にはエセーのスタイルを踏襲していきます。

すこし考えていたタイトルは、「西洋化に抗することについて」などですかね。

書評や音楽等のレビューに関しては、それぞれ「黙読以上書評未満(仮)」「静聴以上音楽レビュー未満(仮)」というシリーズを始めたいと思います。

矛盾することについて

これからこのシリーズを続けていけば矛盾が生じることもあると思います。

それは時間を経るごとに段々と矛盾していくのかもしれませんし、すでに僕の考えていることが矛盾しているのかもしれません。

しかし、矛盾していたとしても、嘘偽りなどではなくそれも僕自身です。

ですので、僕が思っていることが過去の僕と矛盾していても、そのまま書き続け、時には過去のものを加筆修正していこうと思います。

実際、エセーは幾度にもわたって加筆修正が施されました。

まったくもって、人間とは、変わりやすく、うつろいやすい存在なのであり、人間に対して、確固とした、一律の判断を立てるのはむずかしい。

白水社 モンテーニュ エセー1 「人は異なる手段で、同じような目的に到達する」

さいごについて

このシリーズはエセー以上に私的な目的で始めたものです。

それは、自分の中で渦巻くものをただ吐き出すためや、表現力を得るためかもしれません。

しかし、いつか誰かのためになるように、続けていきます。